毎日トレード

を感じた。ちなみに外為フランス人側にも管理職がいたが、何と美人の若い女性だった。 管理職らしく厳しい話し方だったが、日本人スタッフの間では密かな人気だった。仕事の関係で、よく彼女と話し、外為次第に気に入られるにつれ、一部の日本人ワラントスタッフからからかわれてしまうのには少し困った。 どうも仕事の話をしているだけでも妬みの対象になってしまうようだ。  日々の仕事はほぼ全員が同じ時間に終わり、くりっく365一緒にバスやタクシーで帰った。一人で帰る時はちょっとした不動産投資冒険だった。なんせ、フランス語がほとんど話せないのだから。  それでも先輩に教えてもらった「キャパフェア、マリボロ、シルブプレ(マリボロのアパートにお願いします)」を何度も繰り返し、なんとか連れて帰ってもらえた。  後日その先輩に、自分の発音が悪いことを告げると、 「フランス語にはちょっとしたコツがあってな。・・クレヨンしんちゃん風に言うと意外と通じるんじゃよ」と仙人のような口調で冗談みたいなことを言った。  後日、先輩がしんちゃんのような口調で「キャパフェア、マリボォロ、シルブプレ(マリボロのアパートにお願いします)」と言うと本当に一発で通じた。  試しに僕もやってみたが、あまり通じなかった。 週に一度は一緒にスーパーに買出しに行く。郊外のスーパーが広いのはこの国でも同じで、肉、野菜、パンにフォアグラや生ハムも買っておいた。もちろんそれに合うワインも忘れない。  週末、店のほとんどが閉まるため、大した娯楽もなく、食べることが大きな楽しみだった。  そして、夕食を作って食べ、午前1時まで仮眠。時差の関係上こちらの午前1時は日本で午前9時だった。  何故この時間に起きるか?もちろんデイトレのためだ。ここでの生活を始めて最初の数日間でネットがつながるようにした後、ほぼ毎日トレードをした。  もちろん勝つ時もあったのだが、負けを認められず、株をいつまでも持ち続け、気づいたら朝だったと言う日もある。はっきり言って体にはよくない。そして、夜中なので株価が動かないと結構暇だ。  ある日の夜、僕はぼんやりと画面を見ながら、何故かその日に買って来たフォアグラと、別の日に近所の中華食材店から買って来たインスタントラーメンのことを思い出していた。 もし、鶏がらのラーメンにフォアグラを入れたら、意外といけるのではないか?  名前は・・・「フォアグラーメン」・・・フランスで売ったらうけるかも?・・・それともブーイングに会うかな・・。 おかげでその日のトレードは余り集中できなかった。夜中と言うのはどうでもいいアイディアが浮かんできて、しかもとても重要なことのように錯覚しやすいので、トレードするには注意が必要だ。  翌日だが、僕はこのアイディアを同僚に話した。すると皆同じことを一度は思いついたらしい。 ただ、実行した人は、何故かいなかった。 <本日の一言> 「夜中は何故かどうでもいい考えが浮かんで来て、ものすごく大事な考えのような気がしやすい。ただ、たまに本当にいい考えも浮かぶ」 -------------------------------------------------------------------------------- 「日本でFXオプションを扱っている会社は現在2社のみ。管理人が使用しているのはこちらです。」  ・今までに読んだ本のリストなど →用途別目次へ戻る  最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございます。またのお越しをお待ちしております。 テーマ : 自作連載小説 - ジャンル : 小説・文学 タグ : フランス フォアグラ 2008.10.16 | 第11章 フランスで派遣 | comment: 0 | trackback: 0 | ▲ <第61話 突然の別れ> <記事をお読みの前に、1日1クリックのご支援お願い致します。ランキングとやる気がアップします。> ・今日の投資戦略はこちらでチェック!  ブログランキングはこちらから! ・祝1位!FXオプション専用ランキング  ブログ村はこちらから! ・おかげ様でこちらも3位です。旅人のブログランキングはこちらから  FC2ブログランキングはこちらから! -------------------------------------------------------------------------------- 読むだけで投資の力がつく小説 「ザ・ロード・トゥ・フリーダム」  クリスマスが近づくにつれ、同僚が一人、また一人と去っていった。それに伴って日本人作業場も閑散とし、とうとう最後には3人にまで減ってしまった。   僕らはフランス人技師の部屋に移動させられた。おかげで少し、いやかなりにぎやかになった。  しかし週末は相変わらず暇だった。パリやモンサンミシェルは観光したので、他に行きたいところがあまりなかった。実はフランスは前回の旅で1ヶ月以上見ていた。パリとイギリスからそれぞれ友人が遊びに来た時の週以外は特にやることもなく、町をぶらぶら散歩するくらいだった。  フランスでの誤算は予想以上に英語が通じないこと。おかげでこちらで出来た友人の数は少なく、町に行ってフランス語で書かれたものがあれば、さっぱり分からなかった。  そんな時前触れもなく来た祖母の訃報は僕にはかなりのショックなニュースだった。身近な人の死は初めての経験だった。仕事ぶりが認められ、1月以降も仕事を続けるオファーが来ていたのだが、丁重に断り、当初の予定通りクリスマスに帰ることになった。  死は突然にやって来る。祖母の場合は母親からその兆候が少しは見えていたが、ほとんどの場合、死は突然やってくる。  イギリス人の友人と一緒に遊びに来るはずだったドイツ人の友達の母親が死んだのも最近のことだった。 しかもイギリス人の友人の話によると、殺人だったそうだ。僕はドイツ人の友人になんと言っていいか分からなかった。 けれど、それだけじゃ終わらなかった。  帰国日が近づくクリスマスの前に、あのスマトラ沖大地震が発生。地震の規模もさるものながら、問題はその後来た時速300キロの大津波だった。 ニュースが入ってくるスピードがあまりにも遅く、返って現地の状態がとんでもないことになっていることを知った。位置的にタイの知人・友人が心配になった。  ピピ島のダイビングショップオーナー、オーストリア人のハインツ一家が全員亡くなったと知ったのは、帰国してからのことだ。僕の脳裏に、無口な小さな女の子の姿が浮かんだ。それを優しそうに見るハインツの姿。 「ダイビングショップを買わないか?」あの時のハインツの表情が思い出せない。  帰国した僕は、ほぼ毎日、新聞やネットでプーケットやピピ島の惨状のニュースを見た。初めてタイに行った10年前からの付き合いになるピピ島は島自体が古い友人のようなものだ。僕は、まるで島そのものが亡くなったような気持ちになった。  ピピ島で亡くなった人の中の多くは、この島に初めて来た人や新婚旅行の人もいた。彼らのことを非常に気の毒に思うとともに、気まずくも思った。  僕がこの時、この島にいなかったのはたまたまだ。たまたま秋にセブ島に行って金銭的にちょっと辛かったから。或いは、たまたまフランスに出稼ぎに行っていたから。  そうでなければ、僕もこの多数の犠牲者の一人になっていたのかもしれない。  だけど、僕は、今現在も、生きている。 ピピ島でなくなったアイリッシュパブのことを教えてくれた、イギリス人のリチャードは運悪くピピ島の隣のランタ島に父親といたらしい。 津波が遠くに見えた時、すぐに逃げ出したが、時速300KM以上の津波から逃れられるはずもなく、父親と一緒に病院に運ばれたそうだ。救急車の中で、リチャードは隣に亡くなった人の遺体を見た。  もちろん、怪我だけで済んだ彼らはむしろ運が良かったほうなのかもしれないとも言える。  僕は、僕がこの悲惨な災害に会わずにすんだ理由や、リチャードが死なずにすんだ理由、そしてハインツ夫妻と小さな子供が亡くなった理由をそれから何日もの間考えた。  けれど、明確な答えはまだ見つからない。そんなもの最初からないのかもしれない。ただ死が、今まで感じられなかった死が、とても身近な存在に思えた。 <本日の一言> 「死は突然やって来る。前触れなく、理由なく、そして平等に」 -------------------------------------------------------------------------------- 「日本でFXオプションを扱っている会社は現在2社のみ。管理人が使用しているのはこちらです。」  ・今までに読んだ本のリストなど →用途別目次へ戻る  最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございます。またのお越しをお待ちしております。 テーマ : 自作連載小説 - ジャンル : 小説・文学 タグ : フランス 津波 2008.10.17 | 第11章 フランスで派遣 | comment: 0 | trackback: 0 | ▲ <第62話 塾長稼業> <記事をお読みの前に、1日1クリックのご支援お願い致します。ランキングとやる気がアップします。> ・今日の投資戦略はこちらでチェック!  ブログランキングはこちらから! ・祝1位!FXオプション専用ランキング  ブログ村はこちらから! ・おかげ様でこちらも3位です。旅人のブログランキングはこちらから  FC2ブログランキングはこちらから! -------------------------------------------------------------------------------- 読むだけで投資の力がつく小説 「ザ・ロード・トゥ・フリーダム」  トレードの成績はフランスから帰っても、いやフランスに行く前から、いやそもそも始めた時から安定していなかった。  フランスでの仕事も終わり、今度は日本でも同じように仕事と平行してトレードが出来る方法を考えた。午後からの仕事があれば、せめて前場だけでもトレードすることが出来る。    そう考えた僕は再びリクナビで派遣を探し始めたが、中々希望に合う仕事がなかった。そこでハローワークのネットでも探すことにした。ネットだと、勤務希望時間帯で検索することが出来る。早速該当する仕事がいくつか見つかった。  ほとんどが塾講師などの教育産業だ。これなら朝だけでもトレード出来る。何社か面接を受け、某大手個別教室T社で働くことになった。  待遇は同じ教育産業で英会話学校のE社よりはましだったものの、決して高い給料だったわけではない。しかしメインをトレードに考えていた僕は、特に気にしなかった。株でまだ稼げると信じていたからだ。もちろん、何度も止めようとは思ってはいたが、まだ引き下がれなかった。自分のトレード法が未完成なだけだ、完成すれば元は取り戻せる、と信じていた。それにここで引き返すことは今までの損失がただの損失になることを認めることにもなる。  こうして朝9時から12時までトレードをして、